カートをみる 会員ログイン ご利用案内 お問い合せ サイトマップ
RSS

箱館の歴史   -箱館略年表-

※「市立函館図書館蔵 函館の古地図と絵図 千代肇氏 編」より引用。
蝦夷島奇観 目録・巻1-11 余■ 泰檍丸著 上原昌邦 写 和 折帖 美濃 13帖1帙 (■は左が「月」右が「貴」という漢字)
蝦夷島奇観 附録並増補 村上島之丞著 写 和 折本 菊倍 1冊
高田屋旧蔵/箱館絵図 軸物 120.5×135.5cm 1幅
亜墨利加船/松前箱館湊/江入津の図 和 原 折図 1枚1帙 [古川氏良の署名並朱印記あり][嘉永七甲寅四月松前函館湊江亜墨利加合衆国より蒸汽船2艘並軍船三艘同月十五日より廿一日迄入津之図]
箱館港市街地図:(維時安政二乙卯仲穐為公地致分見図画) 源則房(東山)写 原 和 折図 1 1帙
延叙歴検真図 上帙; (従箱館至松前・従根部田至熊石 従クトウ至フルビラ 従ヨイチ至バッカヒ) 目賀田守吉蔭 前田夏蔭著 安政6 写 和 菊倍 4冊1帙
箱館之図 櫟堂画 絹本 菜食 軸物 1幅
箱館真景 明細堂編 京都 明細堂 慶応4(明治元) 木版彩色 折図 特大 1枚
函館真景 浅野文輝編画 渡辺寅蔵版 函館 静光堂 明治15 木版彩色 折図 特大 1枚
函館市外全図 鹿野忠平著 函館 植田清次 明治20 木彩色 和 折図 1鋪
函館案内漫画鳥瞰図 大沢観文画 高橋源八編 函館 大正堂 大正14 折図 106×78cm 1枚 (青函貨車航走記念共進会記念)
改正函館港全図 鹿野忠平著 8版 函館 小島大盛堂 1907年(明治40年) 折図 1枚
箱館之図 写 折図 109.5×78.5cm 1枚 [茂辺地村吉川元三郎寄贈のものなり]
箱館柳野御陣営之図 写 和 折図 63×75cm 1鋪
奥州箱館之図 中洲風松写 1829年(文政12年) 写 和 折図 65×68cm 1枚
実験北蝦夷//山川地理取調図 首、1〜18のうち2、松浦竹四郎著[武四郎] 1860年〔万延1年〕 自筆稿本 和 折畳19枚 1帙
東蝦夷地御場所絵図 2 (モロラン・エトモ両場所) 写 折図 30×40cm 1枚
南部藩蝦夷地経営図 雑1〜23判 原 折図 四六倍 23枚1帙 1.箱館表之図
函館五稜郭周辺絵図 橋本玉蘭斉画 和 折図 1
南部藩蝦夷地経営図 雑1〜23判 原 折図 四六倍 23枚1帙のうちの1枚 9. 箱館表縮図
東蝦夷地御場所絵図 11 (サル場所) 写 折図 30×40cm 1枚
蝦夷島全図 小島左近著 1863年(文久3年) 写 折図 1枚
函湾全景 沢田雪景画 1883年(明治16年)秋 軸物 1幅
函館市及近郊平面図 函館之部 函館市役所都市計画課調製 函館 同課 1926年(大正15年) 石 洋 折図 1鋪
松前箱館 写 和 折図 51×54cm 1枚
函館市明細案内新地図 附湯の川根崎温泉案内図 附函館港基点重要航路網浬数 福田泉秋著 札幌 北海道商工宣伝協会 1937年(昭和12年) 1万分の1
北海道三角測量//函館 1875年(明治8年) 和 42×47cm 1枚
最新//函館市街全図 地理研究会編 函館 近江堂書房 1911年(明治44年) 石 洋 折図 55×80cm 1鋪1帙
箱館亀田//一円切絵図 天・地・人 文久2年(1862年) 写 折図 特大 3鋪
函館実測図 函館県地理課 1884年(明治17年)
長万部村附近絵図 写 和 折図 36×45cm 1鋪 (廬淅叢書の内)
函館古図 蘭室写 1926年(大正15年) 春写 絹本 69×99cm 1枚 (軸物に表装す) 「依故鹿島万平之遺志模櫟堂画伯万延庚申仲冬之作大正丙寅春写於湘南海光山下」とあり
明治初年頃之怪奇なる箱館之図 写 和 折図 52×71cm 1鋪1帙
御国松前津軽航路図 写 和 折図 菊 1枚
安政六年十一月//仙台藩管轄厚岸領図 写 和 折図 1鋪
箱館之図 (安政二年六月南部藩持場見分後見廻之節使用見廻後朱書入 写 和 折図 菊倍 1鋪 [伯爵南部家蔵本複製]
蝦夷地松前一円図 (外題 蝦夷図) 増田塾模写 文政2年(1819年) 写 和 折図 美濃 1鋪
松前蝦夷図 寛政正保頃古図 模写 折図 137×80cm 1枚 (誤写多きも古き楚湖・穏内=吉岡、レイシン嶋=利尻島の地名存せると金山の開発、商場等より見て相当古きものなるべし。「ハコ館」をソコ館と書して離島せるも面白し)
山獄部落里程細密//蝦夷国一円之図 写 和 折図 1枚1帙 〔年代不詳なるも嘉永前後のものか〕
箱館城図 安政3 写 折図 80×64cm 1枚 (五稜郭初度設計図なり)
南部藩蝦夷地経営図 雑1〜23判 原 折図 四六倍 23枚1帙のうちの1枚 20.東蝦夷地エトモ御台場御場所之図
箱館全図 春樹堂編 春樹堂 1855年(安政2年) 木  折図 73×77cm 1枚
箱館市中細絵図面 箱館町役所編 1852年(嘉永5年) 折図 89×153cm 1枚 〔箱館町役場原図に依り嘉永七年五月写蝦夷石狩〕〔大正七年山成信蔵を再写す〕
箱館港市街地図 (維時安政二乙卯仲穐為公地致分見図面) 源則房(東山)写 原 和 折図 1鋪1帙
北海道//亀田外三郡之図 北海道庁渡島国亀田外三郡役所編 函館 常野嘉兵衛 1890年(明治23年) 1枚物 52.3×35cm 1枚 五十万分之一
1367年(正平22年)
宝暦2年8月箱館大町で「貞治(北朝)6年2月日」と銘のある石碑、太刀などが発見されている。
“貞治の碑”北海道指定有形文化財などからこの頃に和人が住んでいたことが知られている。
1439年(永亭11年)
文化10年のころ、箱館近くの石崎村宮の沢で「奉寄進夷嶋脇沢山神御神前 施主平氏盛阿弥敬白、永亭11年3月日」の銘がある鰐口が発見されている。“石崎八幡宮の鰐口”北海道指定有形文化財。
1454年(亭徳3年)
8月、河野加賀守政通が安東政李、武田信広、相原政胤らと青森の大畑から渡ってきたが、政通の函館山のふもとにあった館が、遠くから箱の形に見えたので、箱館と呼ぶようになった。
1456年(康正2年)
蝦夷蜂起する。志濃里の鍛冶屋村でアイヌをマキリで突き殺したことが原因で、この蜂起は角田際した。
1457年(長禄元年)
コシャマイン蜂起し、箱館、志来里、大館、上ノ国から東は鵡川、西の余市までの和人交易地に拡がり、上磯の茂別館、上ノ国の花沢館を残して鎮定する。これはアイヌ社会侵略の和人に対する最初の闘争であった。
1512年(永正9年)
再び蝦夷蜂起し、箱館、志濃里館などが攻略され、東部の箱館中心勢力が潰滅して、和人勢力の中心は上ノ国・福山(松前)に移った。
1515年(永正11年)
上ノ国の蠣崎(武田)信広のあとを継いだ蠣崎光廣が福山の大館を攻めて相原氏と村上氏を滅ぼし、秋田安東氏の代官となり、諸国の商船と旅人を取締る。
和人の中心が福山(松前)に移る。
1590年(天正18年)
豊臣秀吉の統一。蠣崎慶廣、京都に上って秀吉と謁見して、蝦夷島首の待遇をうけ天下を統一した秀吉の直臣となる。
1599年(慶長4年)
蠣崎慶廣は、徳川家康に会って蝦夷島地図と家譜を奉り、蠣崎を松前氏と改めた。
1603年(慶長8年)
徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開くが慶廣江戸に参勤し、翌年家康から制書を受け、松前志摩守として近世大名に登上する。
1613年(慶長18年)
箱館、亀田は、和人とアイヌが雑居のだめ、亀田を蝦夷地と和人地の境として亀田番所を設けた。
松前、和人地は、渡島半島西南部の限られた地域でしかなかった。のち亀田番所を亀田奉行所と改める。
1700年(元禄13年)
蝦夷地全党の地図「元禄御国絵図」および「松前御帳」ができる。
宝永4年(1707)、蝦夷地和人戸数2,758戸。人口15,848人であった。
1730年(享保15年)
箱館に沖改所を設け、入船沖改めを開始する。
船舶は箱館に碇泊することが多く、住民や寺院が亀田から箱館に移っていった。
1741年(寛保元年)
松前藩、亀田奉行所を箱館に移す。
1785年(天明5年)
幕府の山口鉄五郎、青島俊蔵、最上徳内らによる東西蝦夷地探検が開始される。
1796年(寛政8年)
高田屋嘉兵衛、兵庫から1,500石積の辰悦丸で箱館に来航し箱館発展への路を開く。
1798年(寛政10年)
蝦夷地警備の為津軽藩兵500人が函館に着く。
幕府による蝦夷地探検のため、近藤重蔵、最上徳内らがきて、船頭高田屋嘉兵衛の船でクナシリ島、エトロフ島を調査。エトロフに「大日本恵登呂府」の標柱を建てる。
高田屋嘉兵衛、箱館に支店を設ける。
動向の村上島之丞(奉檍丸)が、蝦夷地の状況を詳細に絵巻で「蝦夷島奇観」などを作製する。
1799年(寛政11年)
幕府、東蝦夷地の知床までを直轄地として松前藩の各場所請負人を廃止して直営とする。箱館に沖ノ口番所を設ける。箱館が蝦夷地経済の中心となる。
高田屋嘉兵衛、エトロフに17ヶ場所を設けてエトロフ航路を開く。
1801年(享和元年)
高田屋嘉兵衛、箱館奉行所の巨魁より湿地5万坪を埋立てる。現在の宝来町、末広町で、一部を私有地とするが、このとき港までの運河ができたと考えられる。
1802年(享和2年)
幕府、箱館に蝦夷奉行を置き、戸田安諭、羽田正養を奉行に任じ5月に箱館奉行と改める。
7月、東蝦夷地を永久上知とする。
1804年(文化元年)
幕府の許可により、箱館の築島を埋立て造船場を設ける。北海道で脚所の造船所である。
1807年(文化4年)
幕府、西蝦夷地をも上知させ、蝦夷全島を直轄する。
幕府、箱館奉行を改めて福山に松前奉行を置く。
松前氏は、奥州(福島県)梁川に移封される。
1808年(文化5年)
松田博十郎、間宮林蔵ら樺太探検に赴く。
翌年、さらに樺太から黒竜江、沿海州を探検する。
1809年(文化6年)
高田屋金兵衛は、嘉兵衛の代理で箱館に通じる森村、大野村への道路と松前街道を改修する。
1811年(文化8年)
ロシア船のディアナ号をクナシリ島で捕え、艦長ゴローニンほか7名を箱館に送り、福山に護送拘禁する。(ゴローニン事件)
1813年(文化10年)
高田屋嘉兵衛の斡旋でゴローニン事件が解決し、箱館入港のディアナ号にゴローニン艦長らを引渡す。
幕府は、この事件解決によってロシアの危機感をゆるめることになる。
1814年(文化11年)
幕府、箱館・松前以外の全蝦夷地に配置した守備兵を撤退する。
1821年(文政4年)
幕府、北辺の危機が一応去ったと判断して蝦夷島の直轄をやめ、東西蝦夷地を再び松前藩に返し、復領となる。
1824年(文政7年)
高田屋金兵衛、箱館大町の支店を本店とし、兵庫西出店、大坂助右衛門橋西笹店、江戸八丁堀を支店とする。
この頃、箱館はエトロフ、根室、様似など東蝦夷地の経済の中心地として発展し、箱館は高田屋の街といわれるほどになっていた。
1833年(天保4年)
高田屋金兵衛、露船との密約があったとの疑いで裁判が続き、財産は没収、身柄は淡路の松平阿波守に預りとなり、箱館は、高田屋没落により経済不振となる。
1834年(天保5年)
箱館山に三十三番観音像が安置される。
1845年(弘化2年)
松前武四郎、松前蝦夷地に渡り、1858年まで蝦夷地を探検して、山川地図など著作を多く残す。
1853年(嘉永6年)
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー、国使として軍艦を率いて浦賀に来航。
ロシア施設極東艦隊司令官プチャーチン、軍艦を率いて長崎に来航。
1854年(嘉永7年、安政元年)
幕府、日米和親条約を締結調印し、下田・箱館を開港。
アメリカ艦隊箱館に入港、箱館港など地形、水深、地質等を調査し、海図を『日本遠征記』に発表する。
プチャーチンがディアナ号で箱館に来航し、モジャイスキーがスケッチをのこした。
幕府、下田で日露和親条約に調印し、下田・箱館・長崎を開港。エトロフ島とウルップ島間を国境と定め、樺太を両国雑居地とした。
幕府、松前藩領の箱館とその附近を直轄して再び箱館奉行を置く。
1855年(安政2年)
幕府、松前藩の福山と周辺を除き、全蝦夷地を直轄。
箱館にイギリス船などが入港する。
1856年(安政3年)
幕府、砲術、諸金分析など洋学の諸術調所を置き、武田斐三郎を教授とした。
武田斐三郎の設計による弁天岬砲台の築造に着手。
1857年(安政4年)
アメリカ貿易事務官ライスが箱館に滞在する。
亀田(五稜郭)に武田斐三郎設計の、洋式の箱館奉行役所建設に着手。
続豊次、スクーネル形の洋式艦を完成、箱館丸と命名され、官船として浸水し、江戸に試運行した。
1858年(安政5年)
幕府、日米修好通商条約、日露修好通商条約に調印。
ロシアの初代領事ゴシケヴイッチ、医師、司祭、士官など15人が箱館に着任した。
1859年(安政6年)
イギリス領事ホジソンが着任
箱館、神奈川、長崎と共に自由貿易港となり各国の船が入港する。
フランスの宣教師メルメ・カション来箱。
堀川乗経、松川弁之助らと亀田川を市中に流す計画をたて竣工し願乗寺川と名付けた。現在の堀川通り。
1860年(万延元年)
箱館奉行は、大町の海に2,000坪の埋立地の浩司を前年から始めて竣工した。外人居留地の問題があった。
松川弁之助らは地蔵町(現大手町)の海面20,000坪余りの埋立てを出願して工事に着工した。
元町にロシア領事館、ハリストス聖堂、イギリス領事館が建てられる。
箱館に医学所(病院)ができ、田沢春堂、深瀬洋春らが頭取となる。ロシア病院もあり、医師アルブレヒトから医学を学んだ人もいた。
1861年(文久元年)
イワン・マホフのロシア語入門『ろしやのいろは』が発行になる。大町の築出地を10区画に分け外人貸渡地とし、アメリカ人、イギリス人、ロシア人に貸渡した。
箱館開港による内外の往来で箱館の絵図面が要求されるようになる。
1863年(文久3年)
安政3年着工の洋式築造による弁天台場が完成。
地蔵町の埋立地に造船所、倉庫地がつくられる。
イギリス人プラキストンが製材事業のため地蔵町の埋立地を借り、翌年技師ジェームス・スコットと製材機械は運ばれて、わが国最初の機械製材所が建設される。
1864年(元治元年)
安政4年着工の洋式築造の亀田役所五稜郭が完成して、箱館奉行小出秀實が移る。同心長屋などには飲料水を亀田川から引いて、木管の水道を縦横に敷設した。
新島某(七五三太)が、福士成豊(卯久吉)の手助けで函館から海外渡航に成功・
箱館奉行、岩内の茅沼炭山を開坑。
1867年(慶応3年)
徳川慶喜・大政奉還
箱館奉行、プロシア人R・ガルトネルに箱館近郊の亀田村に田畑の試作を命ずる。
秋田藩の蝦夷地支配を免じて、増毛・宗谷・利尻・礼文尻を箱館奉行の治下とする。
1868年(明治元年)
箱館裁判所(行政府)設置、箱館奉行を廃止。裁判所総督に蝦夷地開拓の用務を委任する。
箱館裁判所を箱館府と改め、清水谷公考府知事となる。
榎本武揚ら旧幕府軍五稜郭を占拠し、蝦夷地を平定する。榎本武揚蝦夷島総裁を入札にて選出する。
政府、清水谷公考を青森総督に任命する。
1869年(明治2年)
榎本軍、五稜郭の北方に四稜郭を築造。
弁天台場の榎本軍降伏。千代台でも敗れて、5月18日榎本武揚以下降伏。
鍋島直正、蝦夷開拓総督となる。
版籍奉還。
蝦夷を北海道と改め、11国86郡に分ける。
開拓し出張所を函館に置く。この頃から箱館を函館と改められる。
1872年(明治5年)
函館・札幌間の新道開削工事に着手。函館・森間竣工。翌年札幌までの新道が完成。
福士成豊。船場町の自宅に気候測量所を設ける。(わが国測候所のはじまり。)
札幌開拓使庁を札幌本庁と改め、函館・根室・宗谷・浦河・樺太の5支庁を置く。
太陽暦採用を布告。12月3日を明治6年1月1日とした。
戸数6,613戸。人口24,584人。
1873年(明治6年)
函館運上所を函館税関と改める。
開拓使、ワツスンに三角測量を命ずる。
開拓使、函館・青森間の定期航路を開く。
函館・森間乗合馬車運行開始。
1875年(明治8年)
函館・小樽・札幌間に官用電信開通。
ロシアと千島全島・樺太交換条約締結調印。
1876年(明治9年)
三井銀行、函館と札幌に出張所を開設。
北海道に大小区画が定められ、地図「開拓使函館」第14大区、第15大区、第16大区が開拓使函館支庁編で出る。
函館裁判所、函館地方裁判所と改称。
1877年(明治10年)
函館で伊藤鋳之助らによる印刷業の北溟社が設立。
翌年本道最初の新聞「函館新聞」創刊。
1878年(明治11年)
公立の住吉学校、亀田学校、宝学校が開校。
旧高田屋屋敷に官立女紅場が設立。西洋の洗濯、裁縫などを教えた。
西部の鱸潤町から出火、954戸が焼失し、火災後西部地区の大改良が行われた。
相生町から谷地頭への新道開削工事が始まり、谷地頭の低地を埋立てる。
1879年(明治12年)
函館に本道最初の国立銀行、第百十三銀行本店が末広町に設立。函館公園内に開拓使函館支庁仮博物館が開館し、11月函館公園が完成する。
郡区町村編成法が実施になり、大小区画制が廃止になり、函館区役所が置かれる。
函館の在監囚人玉林治右衛門がマッチの製造に成功。官営燧木製造所が設けられる。
海岸町で第1回農業博覧会が開催される。
小林重吉の海員養成所が私立商船学校として認可。明治16年県立函館商船学校となり、校舎を鍛冶町に新築。
堀江町(後の東浜町)から出火、2,326戸焼失。
1880年(明治13年)
官立小学校科伝習所を函館師範学校と改称。
函館八幡宮を谷地頭に遷座。
開拓史の不燃質建物奨励により、煉瓦と倉造りの和洋折中による森洋物店(現在の市立函館博物館郷土資料館)、二金物店、今市などの新店舗が建築される。
戸数6,160戸。人口33,864人。
1882年(明治15年)
遺愛女学校開設。(東北・北海道で最初の女学校)
開拓使廃止となり、北海道は函館・札幌・根室の三県となる。
函館県庁を元町の開拓支庁に開設。
1886年(明治19年)
3県1局を廃し、北海道庁を設置。区郡役所制を施行。
鶉山道開削竣工、函館・江差間乗合馬車運行。
湯川温泉に浴場が許可され、湯川・開発間の湯川新道が完成する。
1887年(明治20年)
亀田川を大森浜に切替工事し、翌年12月竣工。
亀田・大野村間の大野新道工事着工。
府立函館商業学校開校。
1889年(明治22年)
願乗寺川の埋立工事完成。
函館上水道を完成、上水道疏通式を函館公園で行う。
1895年(明治28年)
府立函館尋常中学校(現・函館中部高等学校)元町に開校。
同時に札幌尋常中学校(現・札幌南高等学校)開校。
1897年(明治30年)
道内の郡役所を廃し、19支庁を設置。函館区長龍岡信熊が函館支庁長と亀田支庁長の職務を兼ねた。
五稜郭内に函館要塞砲兵大隊を設置。翌年千代ヶ岱に移転、後に函館重砲兵大隊と改称した。
函館馬車鉄道株式会社区内線開通。
弁天台場埋立地に新浜・台場・仲・帆影・小舟の5ヶ町を設ける。
人口73,968人。
1899年(明治32年)
豊川町から出火。2,494戸焼失。
亀田村の内19字を函館区に編入。(現在の昭和橋から柏木町・五稜郭町・万代町附近から田家町・北浜町。)
函館山要塞の竣工。翌年函館要塞司令部設置。
1902年(明治35年)
下湯川村・上湯川村・亀尾村の3村合併して湯川村となる。
鉄道が始めて函館・本郷(渡島大野)間に開通、海岸町の函館駅が起点となる。
函館区役所庁舎、豊川町に新築落成。
戸数17,850戸。人口1,459人。
1903年(明治36年)
函館船渠会社(明治29年2月設立)、弁天岬の造船工場に一万トンドック完成。
1904年(明治37年)
函館駅を若松町に移転して開業。
函館・小樽間の鉄道函館本線開通。
1906年(明治39年)
函館・小樽・樺太の定期航路開設。
府立函館中学校、元町から時任町に移転。
1907年(明治40年)
石川啄木、渋民村から函館に来て住む。
日露漁業協約調印。
函館が北洋漁業の基地とし漁業・貿易が大幅に伸び、経済界が飛躍的に発展する。
東川町から出火、8,977戸焼失。中心街など一帯が焼失する。
函館港、第二種重要港湾に指定。
函館太洋倶楽部、野球チーム創設。
1908年(明治41年)
台町・蓬来帖の遊廓を大森町に移転。
渡島水電株式会社は、東雲町の蒸気機関による火力発電所の函館電燈所を買収して明治39年に設立したが、七飯町の大沼に水力発電所を建設して、函館水電株式会社と改称した。
1911年(明治44年)
船場町に煉瓦建築の函館郵便局新庁舎落成。
仲浜町に函館税関新庁舎落成。
北海道ガス株式会社設立、函館営業所設置。
末広町に日本銀行函館支店新築落成。
「函館区史」刊行。
1913年(大正2年)
若松町から出火、1,532戸焼失。
函館水電株式会社、湯川線電車運行開始し、10月31日区内の前線が開通。
函館・上磯間軽便鉄道開通。
英国領事館、会所町に新築落成。
史跡五稜郭、函館国貸下げ、翌年6月から公園として一般に公開。
1918年(大正7年)
北日本製紙株式会社設立、湯川に工場開設。
函館八幡宮社殿(現社殿)新築落成。
函館築港竣工。
函館区第二次水道拡張工事開始。
1919年(大正8年)
青函連絡船棧橋駅が函館駅から分離独立する、
1920年(大正9年)
函館水電亀田火力発電所竣工。
函館に道内最初のアスファルト歩道ができる。
1921年(大正10年)
東川町から出火、2,141戸焼失。銀座通りに火防線を設け、両側の不燃建築に補助金を交付。
函館水電株式会社、柏野に野球場新設。
1922年(大正11年)
府立函館工業学校開設。
函館区、市制施工。道内6市発足。
函館支庁を渡島支庁と改称。
湯川温泉の村営許可。
五稜郭、国指定の史跡となる。
戸数33,306戸。人口148,855人。
北洋出漁のかに工船が増加する。
1925年(大正14年)
函館のソ連領事館再開。
国鉄青函連絡船、貨物積込輸送開始。
函館療養所が開所。
1926年(大正15年、昭和元年)
函館市都市計画区域設定。
函館に市街地建築物法が適用。
函館・東京間長距離電話開通。
函館在住外国人、183人(ロシア人80人、中国人75人、フランス人10人、イギリス人9人など)
1928年(昭和3年)
日ソ漁業条約モスクワで調印。
函館商業会議所が函館商工会議所となる。
函館最初の鉄筋校舎、公立新川小学校落成。
市立函館図書館が新築になり開館。
函館冷蔵株式会社、冷蔵庫落成。
函館重油タンク株式会社設立。
1930年(昭和5年)
末広町に棒二森屋百貨店7階建ての社屋完成。
1931年(昭和6年)
東部の町名改正、全市85ヶ町となる。
東川町・旭町海岸の護岸工事、西浜町岸壁工事落成。
JOVK函館放送局新局舎汐見町に完成、翌年開局。
1934年(昭和9年)
函館大火。24,186戸焼失。死者2,054人、行方不明662人。函館中心地など大半が焼失した。
大火義捐金を基金とした財団法人函館共愛会設立。
函館市復興事務局設置。
四稜郭、志苔館跡が国指定の史跡となる。
1935年(昭和10年)
函館高等水産学校開校(現在、北海道大学水産学部)
函館商船学校廃止、府立水産学校開校。
函館水産試験所設立。
函館観光協会発足。
開港記念日を定め、第1回港祭りを開催。
函館市の徽章を左巴と定める。
1936年(昭和11年)
帝国電力(旧函館水電)株式会社柏木町車庫完成。
函館税務署、新川町の新庁舎に移転。
函館低温倉庫落成。
湯川村、町制施行。
湯川香雪園隣地に9ホールのゴルフ場造成。
1937年(昭和12年)
函館裁判所、新川町新庁舎に移転。
函館警察署、新川町新庁舎竣工。
1938年(昭和13年)
北千島水産株式会社創立。
帝国電力株式会社、市内バス営業開始。
函館大火慰霊堂落成。
1939年(昭和14年)
湯川町、函館市に合併。
招魂社を護国神社と改称。
木造建築統制規則が公布され、不要不急の建物が抑制。
1940年(昭和15年)
青柳町に市民庭球場開設。
防空模範地区を松風町に設定し、290坪を指定。
1943年(昭和18年)
函館市が電気事業を買収し、電車・バスが市営となる。
物資統制令に基づく工作物築造統制令が発布。
1945年(昭和20年)
建築規則区域内建築物取扱いに関する公示。
一般家庭の新規増改築が許可されなくなる。
函館空襲、市内の家屋約400戸焼失。
終戦。アメリカ進駐軍6,000人が函館に上陸。
戸数39,397戸。人口181,532人。
1949年(昭和24年)
千代ヶ岱公園内に失業対策事業として野球場建設着工。
北海道学芸大学(現、教育大学)函館分校発足。
北海道大学水産学部発足。(函館高等水産学校)
日本専売公社函館工場、大川町に新築落成。
市営の市民住宅88戸着工。
市営アパート鉄筋コンクリート造4階建1棟を松川町に着工。
1950年(昭和25年)
市営競輪場を駒場町に竣工して開催。
市営函館労働会館を東雲町に開設。
警察予備隊函館部隊創設。
1951年(昭和26年)
市電、宮前町経由環状線完成、営業開始。
千代ヶ岱公園に市営野球場完成。
1952年(昭和27年)
函館地方労働組合会議結成。
HBC函館放送開始。
北洋漁業、鮭鱒出漁再開。
日・米・加3国漁業条約調印。
1953年(昭和28年)
アラスカ・ブリストル湾のかに漁再開。
函館商科短期大学開校。
函館山展望台竣工。
1954年(昭和29年)
海上自衛隊函館基地発足。
北洋漁業再開の大博覧会を函館公園、五稜郭公園で開催。
函館水上警察所が函館西警察署となる。
台風15号、本道に上陸し洞爺丸事件が起る。
1957年(昭和32年)
NHK函館放送局、テレビ局開局。
渡島支庁、五稜郭に新築の庁舎竣工。
1960年(昭和35年)
函館空港完成、函館・札幌間の輸送開始。
国勢調査による函館の世帯数56,676世帯。人口243,012人
1964年(昭和39年)
函館・大間(青森)間に最初のカーフェリー就航。
1965年(昭和40年)
旧ソ連領事館に道南青年の家開設。
1966年(昭和41年)
銭亀村、函館市と合併。
1967年(昭和42年)
NHK函館放送局、千歳町の新局舎に移転。
函館駅前に拓銀ビル完成。
函館都市化計画中央土地区画整理事業開始。
1968年(昭和43年)
函館港中央埠頭に港湾合同庁舎新築落成。
志海苔町道路工事現場で中世の大量の埋蔵銭が発見。
函館圏総合開発審議会発足。
1970年(昭和45年)
函館ドック株式会社造船所に30万トン乾ドック建設に着手。
新都市計画法による1市4町の計画区域設定。
函館市民会館、平塚小公園開設。
都市改革区域の市街化区域と市街化調整区域との区分決定。
市に公害対策課設置。
国勢調査による函館の世帯数69,901世帯。人口241,649人
1971年(昭和46年)
銭亀沢地区、亀田町赤川・桔梗地区の電話が函館市内と合併され自動式となる。
亀田町市制施工。人口56,000人
2市3町による函館圏総合開発基本計画実施。
青函トンネル本工事吉岡側起工式。
函館空港拡張工事完成、中距離ジェット機就航。
1973年(昭和48年)
亀田市、函館市と合併。
世帯数87,729世帯。人口300,058人。
1975年(昭和50年)
函館市民体育館開館。
函館市中央卸売市場開場。
函館市日乃出清掃工場本運転開始。
1978年(昭和53年)
市電、五稜郭駅前〜ガス会社間廃止。
函館空港2,500m滑走路完成。翌年エアバス就航。
亀田支所新庁舎完成。
旭岡団地造成による旭岡浄水場完成。
1982年(昭和57年)
五稜郭土地区画整理事業の事業計画決定。
北洋資料館開館。
函館市役所新庁舎開庁。
カナダのハリファックス市と国際姉妹都市提携。
1985年(昭和60年)
新水産物地方卸売市場完成。
青函トンネル本坑貫通。
新中野ダムかさ上げ工事、笹流ダム改修工事完成。
道立函館美術館建設に着手、翌年開館。
道立工業技術センター建設に着手、翌年開所。
世帯数117,982世帯。人口320,431人。